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    資本主義の選択はいわば格差の肯定、ではナゼ問題視されるのか

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      JUGEMテーマ:国際社会

       

      格差社会を問題だという人がいますが、本当に格差が悪だとするならば、完全平等を理想とする社会主義は成功をおさめ、自由競争を是とする資本主義は滅んでいるはずです。しかし、実際の世の中を見ると、そうはなっていません。むしろ、その逆です。

       

       

       

      20世紀、資本主義経済は共産主義に勝利しました。ソ連の崩壊がその象徴的な出来事で、それに伴い、傘下の東側諸国もこぞって経済に自由競争の資本主義を取り入れるようになりました。 中国も、政治体制はいまだ民主化されていない一党独裁体制ではありますが、経済に関しては実質的に、資本主義にシフトし、成功を収めました。

       

       

       

      この勝利によって、私たちは一つの結論を得ました。平等を基本とした共産主義は、人々の労働意欲を衰退させ、国家経済の破たんを招いた。というものです。個々の努力や能力を無視して利益を均一配分する事は、国の経済運営手法としては上手くいかないことが実証されました。

       

       

       

      資本主義VS社会主義の衝突は、端的には格差VS平等の対決であり、人々は格差に軍配を上げました。なぜなら、人は頑張った分だけ評価されたい生き物であり、努力した者とそうでない者との間に、報酬の差が出るのは当然である、と考えたからです。 にもかかわらず、なぜ格差を問題視する声はなくならないのでしょうか。共産主義者の残党が、資本主義に再び挑戦しているのでしょうか? どうやらそうではないようです。人々に、夢とやる気を与えて来たはずの格差が、一方でもたらしている弊害について述べていきます。

       

       

       

      /誉犬離好拭璽肇薀ぅ鵑砲ける格差をも生み出す

       

      正当な競争の結果として勝者と敗者の間に生ずる所得や生活レベルのギャップは、あってしかるべきです。しかし、生まれついた家庭環境の違いにより、人生のスタート地点で、既に格差が存在するのは不公平です。何の落ち度もない幼少期の段階で発育に必要な栄養を摂取できなかったり、十分な教育を受けられなかったりすれば、その後の人生に悪影響を与えます。その子供が大人になっても貧困から抜け出せなかった時、それを自己責任として切り捨てるのは酷ではないでしょうか?

       

       

       

      よく言われるような貧しい環境こそがハングリー精神を養い、その後の成功につながる、という説は、あくまで珍しい例がドラマティックにピックアップされているだけです。現実にはオリンピックのメダリストも、ノーベル賞の受賞学者も、経済的に豊かな先進国の出身者がほとんどで、数の上では良い環境で育った子供のほうが良い結果を生み出せることは明らかだからです。

       

       

       

      子供の貧困問題に代表されるような人生のスタートラインにおける格差は、努力やアイデアが切磋琢磨しあう、自由競争のゴール地点での格差とは完全に別モノです。どんな貧しい家庭に生まれても、子供に罪はないはずですが、残念ながらこの出生時の格差は存在し、その深刻度は増しているのが現状です。

       

       

       

      ∨ー9餡箸砲けるコンプライアンス意識を低下させ、治安の悪化につながる

       

      ルールとは義務であり、悪く言えば私たちを締め付け、時として自由を奪うものです。それでもナゼ私たちがそのルールを尊重し、守ろうとしているかと言えば、ルールが同時に私たちを守り、社会の秩序を保ってくれているからです。モノを盗んじゃダメ、信号守らなきゃダメ、税金納めなきゃダメ、と規制はされていても、警察が犯罪を取り締まり、信号が交通安全を保ち、税金が福祉を支えてくれることを考えれば、得るものも多いという判断のもと、法律というルールを守っている、という訳です。

       

       

       

      ところが、拡がり過ぎた格差社会の中、低賃金で過酷な労働を強いられ続け、人生に疲れてしまった人々や、貧困家庭に生まれ育ち、成功のチャンスすら与えてもらえなかった人々にとって、法律というルールはどんな風に見えるでしょうか?自分たちを押さえつける一方、決して助けてはくれない法律に、ポジティブなイメージを持てているでしょうか? 縛られるデメリットと比較して、それでもあった方が良い、そう思えるだけのメリットを、法というルールに見出せているでしょうか?おそらく答えはノーです。

       

       

       

      もちろん、だとしても守らねばならないのが法律、というのが正論です。しかし人間は感情を持った生き物です。メリットとデメリットを天秤にかけ、明らかにデメリットが上回るようなら、そんなルール破ってしまえ、そう考える人が出て来るのが世の常です。 法律は自分たちを締め付けるだけで、何も助けてくれない。金持ちが自分達の都合に合わせて作った不公平なルールに過ぎない。そう心から思う人にとっては、法を破る罪悪感など、ないに等しいかもしれません。中には家族を守るため、生きていくため、と大義名分を掲げ、実際に堂々と犯罪を犯す人もいるでしょう。

       

       

       

      これが、行き過ぎた格差が人々の法令順守の意識を低下させ、結果的に犯罪増加、治安悪化を招くメカニズムです。格差社会の象徴であるスラム街が、どの国でも犯罪の温床となっている事が何よりの証拠でしょう。

       

       

       

      O働意欲の低下を招く

       

      個々の成果が評価されない社会主義では労働意欲が低下し、結果に対して報酬が期待できる資本主義ではモチベーションが高くなる、これが本来のセオリーであり、基本的にはこの理論は機能しています。しかし、格差が限度を超えてしまえば、資本主義社会においても労働意欲の低下は起こりえます。

       

       

       

      我が国においては、ワーキングプアと呼ばれる働く貧困者層の問題がこれに当たります。奇抜なアイデアはなくても、一流企業に勤めてなくても、勤勉に努力を重ねていれば、それ相応の豊かな生活が望めたのが、一億総中流と呼ばれた従来の日本でした。しかし、国の経済状況がさほど変わらない、もしくは衰退傾向にあるにもかかわらず、富裕層の取り分が増えたことで、しわ寄せとして中間層以下の収入は減ってしまいました。つまりこれが格差の拡大です。

       

       

       

      この事により、努力しているのに報われない、働けど働けど暮らしが楽にならない、そんなワーキングプアと呼ばれる人々が大量に生まれてしまったのです。 日本では、すべての人に健康で文化的な最低限度の生活を送る権利が、憲法25条により保証されています。そしてこの権利は、生活保護というセーフティーネットによって守られています。この生活保護により、日本国民は最悪、働けない状況に陥っても、行政から生活費の支給を受けられ、決して贅沢とは言えませんが、文字通り文化的な最低限度の生活は営めるようになっています。

       

       

       

      問題は、賃金格差の拡大により、働いているにもかかわらず、月収がこの生活保護の受給額を下回る人が出てきてしまったことです。苦労して、ストレスを感じながら働いて得られる収入が、言い方は悪いですが、働かなくても国からもらえる金額より低い状況が続けば、余程その仕事が好きでない限り、労働意欲は低下していくのが自然です。

       

       

       

      その結果、ワーキングプアの中には、バカバカしくて働くのを辞めてしまい、生活保護を不正に受給する人まで出始め、問題になっています。生活保護の支給額だけでは到底ぜいたくな暮らしは望めません。にもかかわらず、一生懸命働いたところで微々たる給料しかもらえないなら、いっそ働かない方が良い。そんな人が増えてしまっているのです。拡がり過ぎた格差が原因の一つであることは間違いありません。

       

       

       

      このように格差は資本主義を構成する大切な要素の一つですが、限度を越えれば、社会に暗い影を落とすリスクがある事は明らかです。そして実際、そのリスクはいくつか現実となっています。どこに格差の限界を設定し、どこまでを容認すべきかは十分に議論が必要でしょう。しかし、ついに世界の総人口比1%の超富裕層の資産が、残り99%の人々の資産額を上回り、スーパー格差時代に突入した2017年現在、このまま現状を放置してはいけない事だけは確かです。

       

       

       

      余談ですが、格差の是正を訴えると、オウム返しのように共産主義だと言いたがる人が居ますが、これは少々乱暴が過ぎる極論です。誰も国民全員の給料を同じにしろとは言っていません。ただ、留まる所を知らない強者の要求を飲み続け、その分弱者を追い詰めることで、その歪みが深刻な問題を起こすことを危惧しているだけです。沸騰した熱湯を飲めない人は、全員猫舌でしょうか?そうではないでしょう。

       

       

       

       

      地球政府設立プロジェクト * その他 * 23:33 * comments(0) * -

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